『ノケモノと花嫁』の世界観に関連する映画作品
以前、ノケモノの世界に関連する音楽に関する エントリ- を書きました。
今回は映画についてです。
この作品の風変わりで独特な世界観はどのように成立しているのか。
コミックスあとがきや、過去のインタビュー及びイクニWEBの日記に登場した過去の映画作品を元に検討してみました。
まずは1巻P154の明日美子先生「あとがきにかえて」に登場した作品から。
明日美子先生と幾原監督は、作品のイメージすり合わせの打ち合わせで、次の作品を参考としたそうです。
■時計じかけのオレンジ(1971年/米)
監督・脚本 スタンリー・キューブリック
原作はアンソニー・バージェスによるディストピア小説。
明日美子先生が「痛そう」と言っているのは、この作品のことではないかと予想。
美しい衣装や背景美術と裏腹に、超暴力(ウルトラ・バイオレンス)映画であり、全編にわたって暴力と苦痛のシーンが続きます。
舞台は近未来のロンドン。主人公のアレックスは暴力・略奪・強盗をくりかえす少年犯罪組織のリーダーです。
ノケモノとの関連について言うと、主人公アレックスのベートーヴェンを愛する芸術性と、見る者を惹きつける容姿美しさ、何者にも愛されず誰も信じない感じは、兎河ギンのデザインに通じる気がします。
■デューン/砂の惑星(1984年/米)
フランク・ハーバートの有名なSF小説を「ツインピークス」の監督デヴィッド・リンチと主演カイル・マクラクランのコンビで映画化。
ノケモノに対する影響として考えられるシーンはあまりないのですが、強いて言えば、皇帝に反乱する革命軍のイメージが燃えるキリンに投影されているのかなと思います。
■レミング(壁抜け男)
1983年寺山修司が最後に演出した演劇作品です。
明日美子先生が「超アングラ…」と書いてるのはこの作品と予想。
「世界の暗喩としての壁」が消失した男と、出口を探す人々の物語。
幻聴、覗きと嘘ごとのまなざし地獄。
他人の夢に自分が登場しているとき、その自分とは一体誰のものなのだろうか。
他人の夢に見られてしまう前に、先手必勝で夢に見てしまわなければならない。
ノケモノ3巻以降の兎河ギンの過去物語は、「誰の見ている世界だったのか」「事実とは何なのか」という謎を読者に提示したように思います。
このギンの夢を始めノケモノの世界観を考察をする上で興味深い作品です。
映像やデザインのイメージというよりは、テーマの部分で影響が大きいように思います。
■かいじゅうたちのいるところ(2009年/米)
続いて幾原監督がKERAインタビューで語っていた作品。
アメリカの絵本作家センダックの大ベストセラー絵本の映画化作品です。
主人公は八歳の少年マックス。
ある晩、彼は母親と喧嘩をして家を飛び出し、深い森の中で怪獣たちと出会います。怪獣の仲間に入れてもらうため、自分は王様だと嘘を言うマックス。
やがてその嘘がバレそうになり…
幻想的な映像が怪獣たちとの心の交流を描く少年の冒険物語。
幾原監督は、燃えるキリンの幹部のデザインについて、この映画の怪獣たちに近いものをイメージしていたそうです。(KERA152『ノケモノと花嫁の世界をめぐる』P75)
続いて特に明言はされてないのですが、過去の日記等からノケモノ関連作品と勝手に考えている物です。
■トマトケチャップ皇帝(1971年/日本)
ツーロン映画祭審査員特別賞受賞、カンヌ映画監督週間招待。
寺山修司の実験映画です。子供による大人への反逆と革命の物語。
ある日、宿題をやらずに父親に殴られた子供が、いつもなら泣いて机に向かうところを、その日に限って父親を殴り殺す。それを合図に国中の管理家庭に服従していた子供たちが一斉に蜂起した。彼らは“大人狩り”を行い、子供による国家を樹立する。
子供による子供のための子供の空想のユートピア、つまりエロス社会を作る試み。
この作品のテーマである“大人狩り”を、政治的言語の不老性へのアイロニーととるか、空虚なユートピア論ととるかは観客しだいだが、この映画は“喜劇”と呼ぶよりは、むしろ“冗談”のようなものである。と言えるだろう。(「寺山修司イメージ図鑑」,フィルムアート社)
「やめてケレ、やめてケレ、ゲバゲバ パパヤー」という歌詞が強烈ですが、ゲバゲバとはゲバルト(=暴力行為)を意味し、当時の暴力革命の機運に反対するメッセージが込められているのだとか。
http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=64
ノケモノでは、ギンと決別して処刑されるトナカイのセリフが、この命題について語っているように思います。
トナカイ「キミのことが心配だよ。同士トナカイ。こんなことはいつまでも続かない。こんなことは意味がない。コドモはやがて大人になる。対症療法では根本の解決はない。本質はもっと根深い。分かっているはずだ。ウサギ。」兎河ギン「―わからんね。そしてわかったつもりになっているのはキミだ。同士トナカイ。我々に明日はない。」(ノケモノと花嫁3巻P10)
嶽本野ばら原作のロリータ少女とヤンキー娘の青春映画。
ノケモノとは特に関連はないのですが、ノケモノ小説版が「BABY, THE STARS SHINE BRIGHT」とコラボしていたことと、ロリータ少女を扱う作品ということで世界観に関連する映画に入れてしまいます。
映画としても大変おもしろいのですが、やはり見るべきポイントはBABYのドレスや小物でしょう。桃子の部屋の家具や置物も幻想的です。
作品中で代官山本店が登場するのですが、イクニWEBの過去の日記でも、このシーンについてに言及してます。
http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=141
■おわりに
関連作を一気に眺めて気づくのは、ディストピア、大人による虐待、抑圧、暴力、革命、子供というノケモノに共通するキーワードです。
ノケモノの世界観には、まず次世代を担う子供達(=若者)が悲惨な状況に置かれているという現状認識があるように思います。そして、その状況(見えない壁)に対する解決策(出口)として、愛による逃避行を選択したイタル・ヒツジと、暴力革命を選択したギンの二つのパターンがあり、両者が対照的に描かれているように思います。ギンの立場はますます苦しくなっているようですが、今後の展開が気になるところです。