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幾原邦彦作品等について語るブログ

天井桟敷「星の王子さま」と「少女革命ウテナ」

寺山修司の戯曲に「星の王子さま」という作品があります。サン=テグジュペリの童話をモチーフとしたこの作品は、「毛皮のマリー」の姉妹編であり、女性出演者による「男装劇」だったといいます。

天井桟敷による初演は1968年。今から45年前の戯曲ですが、ロマンチックな雰囲気に溢れ、少女革命ウテナとの関連も感じますので紹介します。 

天井桟敷星の王子さま

作・演出:寺山修司 美術:宇野亜喜良

物語は、オーマイパパ(男装の麗人)とその娘の点子(旅をしつづける少女)が、あるホテルに宿泊するところから始まります。 そこはサン=テグジュペリ星の王子さまに憧れるウワバミ(恐怖の老処女)が経営する宿でした。ウワバミは昼は天体望遠鏡でみえない星の観察にあけくれ、夜は星の王子様の衣装を着て王子様ごっこをしています。現実の汚い部分に目を背け空想の世界に耽溺する彼女に、点子は現実を突きつけます。老女の欺瞞にみちた虚構世界がリアリストの少女によって崩れていく過程が描かれます。

サン=テグジュペリの有名童話を痛烈に皮肉るこの作品は、観覧した三島由紀夫も絶賛したそうです。

 

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宇野亜喜良デザインの初演時のポスター。「幻想とエロチシズム・レズビアンバーの花形総出演」「男装の麗人 星の王子さまを主人公とした性のメルヘン!」「春日野八千代もびっくり!」「どうしてぼくにはひげが生えないんだろう」など刺激的な文章が踊ります。

演劇実験室・天井桟敷は、寺山修司(1935-1983)を中心として1967年に結成された前衛劇団(アングラ演劇ともいいます)です。旗揚げ時のスローガンは「見世物の復権」。「星の王子さま」は2年目の初期演劇に位置づけられます。J・Aシーザーの入団(1969年)以前なので、音楽には寺山が選曲したものが使われたようです。

寺山修司の冒頭の文章

寺山はこの戯曲の冒頭に「ノート」として次の文章を付しています。 

「何百万の星のどれかに咲いているたった一輪の花をながめるだけでしあわせだ」とサン・テグジュペリ星の王子さまは言っている。

だが「見えないものを見る」という哲学が、「見えるものを見ない」ことによって幸福論の緒口をつなごうとしているのだとしたら、私たちは「見てしまった」多くの歴史と、どのようにかかわらなければならないだろうか?

「大人になった星の王子さまは、何になると思う?」 と問いかけるたびに、女学生たちはいやな顔をした。 「星の王子さまは大人になんかならずに、永遠に王子さまのままでいる」 と、彼女たちは思い込みたいだろう。

だが、星の王子さまの大人になってしまった無残な姿はあちこちに見出される。 浅草の銭湯の番台や、自衛隊宿舎や、大学の共闘会議や、ゲイバーの片隅に。 そしてこうした「星の王子さま」を捨ててきた人たち、「見えるものを見てしまった」人たちが、もっとも深く現実原則と心的な力との葛藤に悩みながら歴史を変えてゆく力になってゆくのである。

私はこの戯曲で復讐をしたいと思った。 「星の王子さま」にではなく、「星の王子さま」を愛読した私自身の少年時代に、である。 私は、今やバオバブの木に棲む一人である。そして、夜になると出て行って花を食べるヒツジに化ける。(寺山修司星の王子さま」) 

星の王子さま―オリジナル版 

サン=テグジュペリ寺山修司

サン=テグジュペリが「星の王子さま」を書いたのは1943年。第二次大戦中のことです。アメリカの出版社から「クリスマスにむけた子供達のための話を書いてほしい」と依頼されたのがきっかけでした。 出来上がった童話は、砂漠に不時着した飛行機乗りが王子様と出会い、大人になると失ってしまう子供の心について考えるお話しでした。子供時代の素直な驚きの気持ちや、こころで感じることの大事さが説かれ、物事を外側でしか評価しない大人が批判的に描かれています。「本当に大事なものは目に見えない」と語る物語だったのです。 

寺山修司が戯曲を書いたのはそれから25年後の1968年(32才)でした。戦後20年以上が経過し、学生運動が盛んな時代。大学生が「あしたのジョー」を読み、子供文化が子供だけのものではなくなった頃です。寺山の関心は少女コミック、宝塚少女歌劇、サン=テグジュペリの童話、といった『少女的なるものの政治学』にあったといいます。寺山は「見えないものを見る」ために、現実に目をつむる態度を揶揄します。そして幻想の王子様ではなく、街角に生きる無名の大人こそが現実の力をもつと言います。

ウワバミと点子

寺山のこの戯曲には、老人になっても「星の王子さま」の世界に浸り続けている人物(女主人ウワバミ)が登場します。 彼女は女学生時代にサン=テグジュペリの本を読んで以来、昼は見えない彗星を観察し、夜は自分が王子様に変装します。そして自分の夢を他人に強制するのです。

ウワバミ どう?そっくりでしょう?あたしが「星の王子さま」なの。

点子   (いささかの恐怖に顔をこわばらせて)……。

ウワバミ 似てるとおっしゃい!

点子   (気押されて)似ています……。

ウワバミ (機嫌よく)そうよ。誰でもそういうわ。瓜二つだって。あたしはこうして、昼のあいだは星を眺め続けていて、夜になると「星の王子さま」に化けるの。女学校の宿舎に入っていた頃から、ズーッと同じ日課よ(笑)

ウワバミ 「見えないものを、見たことがある?」

点子   ………。

ウワバミ さあ、星が見える?それともカミクズが見える?

点子   ………。

彼女は紙クズで作られた星を、星だと言います。そしてその幻影を点子にも強制します。彼女はもはや老人であるにもかかわらず、王子様の幻想の世界に浸り現実を認めません。見えないものを見るために見えている現実を無視しているのです。その後ウワバミは点子にオーマイパパの残酷な真実を告げ、一緒に虚構の世界で生きようと誘います。しかしそれを拒まれ、逆に虚構の仕組みを暴かれてしまいます。

ウワバミ 今まで見てきたものなんか、みんな捨ててしまえばいいんだ……。すると、ほら、見えないものが見えてくる!

作りもの……作りもの……でも作りものは安心よ、決してあたしを傷つけないから。さあ、もうすぐ変装の時間がやってくる……あたしはあたしの星たちと一緒に、たくさんの言葉にかざられて、「星の王子さま」の本のページの中に帰ってゆく。

点子 うそだ。この壁のうしろに、青い空だなんて、ある筈がない……。

どうせあるのは、紙の星と、豆電球の天の川!

いつまでも、いつまでも、大人になれない『星の王子さま』!きたないものを見ないふりをするごまかしの童話!

うそでかためたお芝居のホテルの後ろに、ほんものの人生をみせて頂戴! 

 

ホテルの壁ガタガタとくずれ落ち、とどろく市電のひびき!そして流れ込んでくる歌謡曲!

ウワバミの童話の世界が崩れ、現実が姿があらわれたあと、劇はさらなる解体へと向かいます。 

この戯曲は、星や一角獣といった少女趣味的な小物が装飾品として登場します。初演時の舞台セットも宇野亜喜良の手によるものだとか。

王子様への幻想に浸るウワバミがシニカルに描かれますが、寺山の真意は童話世界の否定ではなく、虚構に逃避し現実に目を向けない態度の告発にあるのだと思います。そしてかつて自分も愛した王子様の世界は、それに憧れる者の内面にしか存在せず、幻想にすぎないことを描いているのだと思います。

本作品はその後多くの女子高や女子大の劇団で演じられたものの、天井桟敷での再演はなかったとのことです。「毛皮のマリー」の方が有名ですが、個人的には「星の王子さま」の方が好きです。きっと自分も「崇高なる精神」や「高貴な魂」に憧れる者なのでしょう。そして世界のどこかにそういうものがあるのだという幻想を捨てきれてないのかもしれません。

この戯曲は文庫版が発売されていますので、ご興味のあるかたは手にとって頂ければと思います。

長くなってきたので次回に続きます。