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幾原邦彦作品等について語るブログ

根室記念館の壁面とクリスチャン・ボルタンスキー

ウテナ黒薔薇編に登場する「根室記念館」は「死」のイメージに満ちている。

100人の少年達が生き埋めになった後に建てられたとされるこの建物には、少年達の棺・靴・人体が地下に安置され、グレゴリオ聖歌のような音楽が流れている。生徒たちが悩みを告解する告解昇降室は地下深くへと続き、壁には彼らの写真が遺影のように飾られている。

この館の壁面について、季刊エス29号のウテナ特集は、「根室記念館の壁面にはボルタンスキーのような額がたくさん並ぶ」と書いている。

クリスチャン・ボルタンスキーとは1944年パリ生まれの現代アーティストの巨匠の一人である。 学校にほとんど通わず、ブルジョワのユダヤ系家庭で育った彼は、20代の半ばから展覧会などに作品を発表。「死」を主要なテーマにして、実在した人物の写真や衣服を素材に作品を作成。その多くがこの世から消えてしまった人々との記憶に捧げられているという。

ボルタンスキーの活動は、自分の幼年時代を再現しようとする不可能な試みから始まった。ある日、自分の子供時代が終わっていること、死んでしまっていることに気づいた彼は、失われた幼年時代を取りもどすために、幼年期の自分が何を考えていたかを、子供時代の身の回りの品や写真、手紙などで再構成しようとした。しかしそれは取り戻そうとすればするほど不確かになり、結果としてそれがすでに永遠に失われていること、死んでいることを明らかにしたという。 

クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生

クリスチャン・ボルタンスキーの可能な人生

 

幼年期の復活とその不可能性の提示。

御影草時の「永遠の研究」は「美しい過去を永遠のものにしようとする試み」でもあった。 それはボルタンスキーが作品を通じて不可能であると示したのと同じものだったのではないだろうか。

御影「美しい思い出を持つものだけが、願うことを許されるんだ。あの頃が永遠に続いたならば。今もあの頃のままでいられたならばと。僕には分かる。君は僕と同じだ。思い出を永遠のものにしたいと願ってやまない、そんな人の目と同じだ」 

御影はウテナに決闘で敗れた。しかし彼の挑戦とはそもそも不可能に挑むものであり、その敗北は初めから運命づけられていたのではないだろうか。 

クリスチャン・ボルタンスキー―死者のモニュメント

クリスチャン・ボルタンスキー―死者のモニュメント

 

ボルタンスキーは1972年に「1955年のミッキーマウス・クラブの62人のメンバー」という作品を発表している。これはミッキーマウス・クラブという子供雑誌に載せられた投稿写真を引き延ばした作品で、かつてはボルタンスキー自身も彼らと同じようにミッキーマウスに憧れた少年だったという。しかしこの作品が作られた時点で、ささやかで真剣な夢を共有していたかつての集団はどこにも存在しなくなっていた。かつて神話を共有した少年達の不在が、輝いていた頃の古写真により見るものに提示される。

かつて存在した夢や神話の消失と不在というテーマは、黒薔薇会のデュエリスト達にも通じる。若葉、茎子、石蕗、枝織は美しい思い出を持っていたが、それを失って根室記念館にやって来る。

例えば若葉は20話で学園を退学になった西園寺を匿うことで、自分も特別の存在になれるかもしれないという期待を抱くが、西園寺は復学することになり彼女の特別な時間は終焉する。恋でも勉強でもその他大勢の一人でしかなかった若葉にとって、西園寺と一緒にいる時間は世界が変わるような輝かしい時間だったが、その時間は永遠に失われてしまう。ボルタンスキー流に言うならば、「彼女の美しかった時間は死んでしまった」のかもしれない。

御影はそんな彼女の「思い出を永遠にしようとする心」を取り出して、標本のように固定化する。根室記念館の壁面にある写真は、そうした失われた思い出のモニュメントなのだ。

思春期とは子供から大人に変わる時期であり、それは一人の若者の「子供時代」が失われていくプロセスである。 大人になると、楽しかった出来事ばかりが思い出され、ついつい美化してしまいがちだが、ウテナを見ているとこんなにも思春期とは辛く、痛みを伴うものだったのだと気づかされる。

かつて自分は黒薔薇編のことを、若者を勝者と敗者に切り分ける残酷なルールについての話だと思っていた。しかし今思うのは、黒薔薇編とは一人の人間の中で「子供時代が死ぬ」その瞬間を切り抜いて描いたものであり、同時にそれを悼むものでもあったのではないかということだ。

学園の生徒を操って主人公と決闘させるというわかりやすいプロットでありながら、黒薔薇編が鮮烈なのは、この子供時代の死というボルタンスキー的ともいえる気分を持っているからかもしれない。