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幾原邦彦作品等について語るブログ

ユリ熊嵐(アニメ)第1話感想 その2

初見ではどういう話であるのか掴み切れなかったのだけれども、時間を置いて繰り返し見るうちに馴染んできて、この先がとても楽しみになってきた。

ジャッジメント・ガイズが良い

好印象に変わったのがライフ・ジャッジメント・ガイズ。クマと人間のどちらにもつかずに中立なのが良い。

本当のことをいうと、自分はクマの側に立ちたい気分になっている。「お腹ペコリンなんです」って仔熊みたいに訴えるるるは可愛くて、たとえ罪でも願いを叶えてあげたいと思うし、「人間を食べたい」のはクマの本能なんだから、それを悪いことと責めるのは人間のエゴだと弁護したくなる。でも紅羽のように身近な人間が熊の被害にあった人のことを考えると、やはり「人間食べてもいい」とは言えなくて矛盾に陥る。

そういう見る側の思考と葛藤を、検察と弁護にわかれて討論してるのがジャッジメントなんだと思う。世界の理の外にいる感じが、御影草時や眞悧みたいな雰囲気もあるけれど、御影なんかとは違って敵側にまわることはなさそうな気がする。 

クマについてあれこれ

クマのことをメタファーとして見る考え方もあるみたいだけど、自分は単純に、るるの語るようにクマリア爆発で人を襲うようになった熊なんだと思う。るるが語るのはクマからみた歴史物語。人類は自分たちだけが地球の生物の頂点にいると思っているけれど、熊だってクマリアの破片で進化したんだから、ヒトのように承認されるべきだという気持ちが、るる達にはあるのではないか。

1話はクマ側だけを見れば「熊が人間の子に会いたくて人間に化けて人里にやってきた」というシンプルな昔話みたいな話なんだと思う。プロモーション映像に「断絶された恋人たちを巡る現代の神話」というコピーがあったけれど、神話なんだから胸に響くかどうかが大事。紅羽と純花は人間のクラスの面倒なことに巻き込まれているようだけど、女の子が食べたい一心で壁を超えてきちゃった銀子とるるは、わかりやすくて共感できる。

紅羽と銀子は昔なにかがあった気がするんだけれど、OPで人間の子と熊が手をタッチしてるのは、子供時代の紅羽と銀子なのかな。2話が楽しみだ。

椿輝家リビングのドラクロワ「民衆を率いる自由の女神

スターティングガイドp49を読んでいて気になったのが、椿輝家のリビングに飾られた絵画。ドラクロワ「民衆を率いる自由の女神」に似ている。だけど少し違う?画像が小さくてハッキリしないけれど、椿輝家の方は足元の人物が熊になってるように見えるし、左の人物がマタギっぽい気もする。

Eugène Delacroix - La liberté guidant le peuple

「民衆を率いる自由の女神」はパリの七月革命をテーマにしたものらしい。

民衆を導く自由の女神 - Wikipedia  

作品中に無意味なモノは登場させないと思うので、何かあると思うんだけれど、この先「革命」や「自由」にまつわるようなエピソードが出てくるのか。それとも椿輝澪愛に関係のあるモノなのかな。