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幾原邦彦作品等について語るブログ

ピングドラム読書2013(宮沢賢治つづき)

前回のエントリーに続き、賢治とピングドラムについての本の話です。

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見田宗介宮沢賢治 存在の祭りの中へ」岩波現代文庫

見田宗介による賢治の研究本です。高校生の読者に向けて書いたとのことですが、内容は充実しており、ピングドラム考察のヒントも多くあります。前から存在は知っていたものの読まずにいた本ですが、もっと早く手に取るべきでした。面白いです。

見田は「銀河鉄道の夜」とは<幻想の回路をとおしての自己転回>の物語だといいます。ジョバンニがカムパネルラという具体的な<対への愛>を獲得し、そして喪失することを通して、開かれた<存在への愛>に向かって押し出されること。これだけ読むと少し抽象的ですが、本書ではこれを「Ⅰ自我の羞恥」「Ⅱ焼身幻想」「Ⅲ存在の祭り」「Ⅳ地上の実践」という4つの主題の連環として解説していきます。

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

宮沢賢治―存在の祭りの中へ (岩波現代文庫―文芸)

ピングドラムとの関連

賢治とピングドラムを語るうえで重要な「原罪」「自己犠牲」「苹果」などの用語も説明されています。「透明な存在」「りんごの中を走る汽車」についての記述もあります。 

宮沢賢治の書くもののなかには、<汽車の中でりんごをたべる人>というイメージが、くりかえし印象深くたちあらわれてくる『銀河鉄道の夜』の中でも、<鍵をもった人>である天上の灯台守が、いつのまにか黄金と紅のおおきなりんごをもっていたりする。(見田宗介宮沢賢治 存在の祭りの中へ」序章 一りんごの中を走る汽車,p3)

ピングドラムでも檻の中の冠葉に突然リンゴが出現したという描写がありましたが、あれも賢治的世界観が根底にあると考えると納得がいきます。また冠葉がガラスのように砕け散ったのも、「おきなぐさ」等での賢治的描写の影響なのかもしれないと思いました。 

そして丁度星が砕けて散るときのやうにからだがばらばらになって一本づつの銀毛はまっしろに光り、羽虫のやうに北の方へ飛んでいきました。(

宮沢賢治「おきなぐさ」) 

<星が砕けてちる時のやうにからだがばらばらになって>そのうずのしゅげたちが、いつかあたらしいおきなぐさたちの生命のなかに甦るという構図は、グスコーブドリの死と同型のものである。けれどもこれらのうずのしゅげたちの<死>は、あの<自己犠牲>の暗さも息苦しさもなく、生命連環の恍惚のようなものだけがある。(p201)

二人の少年の語る「リンゴは宇宙そのもの」とは

見田によると、賢治の時間感覚は、過去に実在した物も未来に存在する物も、世界の内部に「透明に集積していく時間」としてあり続けるといいます。これはアインシュタイン相対性理論の影響があるそうです。そしてリンゴとは「孔のある球体」で4次元世界の模型でもあります。孔はブラック・ホール(宇宙の孔)であり4次元の入口でもあるのです。リンゴは外部と内部が裏返し可能な小宇宙でもあります。

ピングドラムの一話で二人の少年が言う「リンゴは宇宙そのもの」とは、賢治のこの宇宙観をさすのでしょう。そういえば地下鉄荻窪線は環状線ではありません。外から環に向かって直進し、そこからぐるっと東京を一周して池袋に到着します。この形状はまさに孔をとおってきた「リンゴの中を走る汽車」です。荻窪から地下鉄に乗って地下61階の空の孔分室へ。陽毬の星のもそこにあります。

 

本書は、その他にも賢治作品における「透明」についての考察や、ヘッケル博士の「生命の不思議」の話など興味深いものが多いです。

ヘッケルとは<個体発生は系統発生をくりかえす>、たとえば一人の人間の生は、人類の全発生史を凝縮して繰り返すということを唱えた実在の人物。

ヘッケルの『生命の不思議』によれば、すべての生命は最初の生物<モネラ>から、さまざまな過程に従ってさまざまな生物の種類へと分化してきた。

そして賢治の時間意識は、序章二節でみてきたように、空間の第四次元のごとくに往復可能な時間のイメージであったから、この漸移はまた<可逆的に>さかのぼることも可能なはずであった。それは、この個我を絶対視する<わたくし>にとってはあまりに恐ろしいことだけれども、同時にそれは、人と人、人間と他の生命たちとの間の障壁が、くずれることのないものではありえぬということの証拠でもあった。

中学生と女学生の賢治ととし子は、読んだばかりのヘッケルの書物のなかの、この<モネラ>という奇妙な名の生物のなかで、賢治ととし子も他のあらゆる人間たちも、他のあらゆる生命たちも、ひとつにとけ合っていたことがあったのだねなどと、なかばはおどけて語り合い、うなずきあうこともあったかと思われる。(p187)

まるで、ふみふみこさんの「そらいろのカニ」に通じるような世界です。