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幾原邦彦作品等について語るブログ

13月のべラドンナと少女革命ウテナ(御影草時・千唾時子)

少女革命ウテナ黒薔薇編と『13月のべラドンナ』についてのネタバレを含むので注意してください)

 

少女革命ウテナ 3―ヴィジュアル・ストーリー・ブック (フラワーコミックス アニメ版 ヴィジュアル・ストーリー・ブック)

少女革命ウテナ黒薔薇編に登場する御影草時(根室教授)は、天才的な頭脳を持つ高校生であり、美少年として描かれている。しかし本当の彼は高校生ではなく、それから数十年の年齢を重ねた中年あるいは初老の男である。千唾時子への未練から時間を止めた彼は、思い出のイリュージョンの中に留まり、学園で起こる奇妙の出来事の首謀者となる。

昔愛した女を忘れられずに何十年も思い出に浸り続ける男。現実にこういう男がいたら普通の女性は好まないと思うのだけど、ウテナファンに話を聞くと、御影草時が好きという女性は案外多くいる。外見や声が良いというのはわかるのだけれど、彼の魅力とはそれだけなのだろうか。

幾原監督の各話解説によると、第2部のラストとして、当初は千唾時子が御影を迎えに来るエンディングが考えられていたという。それは、長年にわたり過去に固執していた御影が、ついに失われた時間の幻から開放されるというものだ。しかしこの案は変更され、より残酷な現在の結末になったという。(詳細はBDBOXの各話解説参照)

御影を巡る22話と23話は昔から大好きで、数えきれないほど見返してきた。しかしドラマの最後、御影が決闘ゲームというシステムから否定され、存在自体が物語世界からも消されてしまうのは、作品のテーマからすれば必然であるとしても、今見るとあまりにも悲しく救いがないように思う。

もしラストに、当初の案のとおり千唾時子が御影草時を迎えにくるとしたら、どういう話になったのだろう?

二次創作的に夢想していたのだが、最近その答えを得た気がする。それはさいとうちほ先生の『恋物語』の中の一篇『13月のベラドンナ』の中にあった。 

13月のべラドンナ(さいとうちほ

恋物語』11巻に収録されている『13月のべラドンナ』。この短編には“御影”という苗字をもった父子が登場する。この御影(父)と、彼の長年の思い人・野方詠子が、御影草時と千唾時子の関係に似ているように思うのだ。

幾原監督によると、少女革命ウテナは「原作・さいとうちほ」と言っても良いくらい、さいとう作品にインスパイアを受けているという。さいとう作品の多くがウテナに引用されているそうなので、『13月のべラドンナ』が黒薔薇編クライマックスの当初案の原型である可能性はある。

プチコミック1997年2月号に掲載されたとのことなので、書かれたのは1996年末以前であろう。22話『根室記念館』は97年8月末の放送なので、時期的にも無理はなさそうだ。

『13月のべラドンナ』とは次のような物語である。

あらすじ

10歳の時に両親を交通事故で亡くし、天涯孤独だった奥田恵麻(主人公)は、ミカゲ・アーネス・ジャパンの若き社長・御影翔と巡り合い、結婚することとなる。幸せな結婚生活が始ってまもなく、長年音信不通だった叔母・野方詠子が急死し、恵麻は10億8千万の遺産を相続する。一方で夫の会社の経営危機が判明する。さらに、夫が恵麻に秘密のうちに彼女の財産の引き出すことを弁護士に相談しており、結婚したら返済することを条件に4億の借金をしていたことも明らかになる。「まさか彼は遺産目当てにあたしに近づいてきたのでは?」疑心暗鬼になる恵麻。そして夫は胃の薬と言ってべラドンナを彼女に飲ませようとする。しかし彼女は幼少の頃、叔母の野方詠子から聞かされていた。べラドンナには人を殺せるだけの毒があると。飲むことを拒否する恵麻。そして……。

 

この後、恵麻は夫を信じてベラドンナ飲み干すが、死ぬことはなかった。少量のベラドンナは薬になるのは本当のことだったのだ。愛の試練を乗り越えた恵麻は、新しい生命を授かり大団円となる……が、その前に一波乱ある。

ここで登場するのが、問題の翔の父親(以下御影父)である。彼は車椅子に乗り、息子を陰で操る謎の男である。趣味は毒薬の研究。自室でベラドンナやヒマの実の油、ジキタリスなどの猛毒植物を育成している。

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この御影父がベラドンナの入った紅茶で恵麻を毒殺しようとする。

実は翔と恵麻が生まれるずっと前に、彼は恵麻の叔母・野方詠子と恋人関係にあった。しかしある日詠子が「他の男の子供を妊娠した」と言い残し家を出て行こうしたため、詠子を自分だけのものとするために毒殺しようとする。しかし毒の量が足りなかったのか詠子は命を取り留める。

それから数十年後。恵麻と偶然に出会った御影父は、詠子とうり二つの恵麻を見て、一目で詠子の姪であると気づき、今度こそ他の男の元へ行かせないために、息子の翔を利用して恵麻と結婚させたうえで、恵麻を殺そうとする。この企みは、翔と恵麻により見抜かれ、彼は毒をあおって自殺するのだが、ベラドンナは幽霊を見させるという言い伝えの通り、最期の瞬間、彼の元に野方詠子が迎えに来る幻影を見る。そして恵麻はかつて詠子が「殺されるほど愛されること」は「死ぬほどの幸せ」であると語っていたことを思い出す。

どうであろう。御影という姓の他にも、昔の恋人に長年囚われ続けていること、その未練から事件を起こすことなど、根室と御影父には共通点が多いように思わないだろうか。御影父も根室と同じように、時間の流れの外部から現実を眺める傍観者だったのだ。

野方詠子を巡る謎

殺されても良いと思えるほど愛されることは幸せである――。この言葉を恵麻は今ならわかると言っているし、彼女には当てはまっているように思う。恵麻はベラドンナを飲むという試練を乗り越えて、真実の愛を獲得したように見えるからだ。しかし野方詠子の場合はどうだったのだろうか。彼女は御影父を愛していたのか。

御影父の元を離れた後、詠子はどういう人生を歩んだか。恵麻以外の相続人がいないことから結婚はしなかったのだろう。では御影父の元を去る時に言っていた相手の男はどうなったのか。破局した可能性もあるが、そもそもそのような男が本当にいたのだろうかという疑念もわいてくる。男についてその後の描写はなく、数十年の時が経ってしまった今では真相は藪の中である。しかし恵麻の回想のなかで詠子は、瞳に涙を浮かべて懐かしむように、御影父に愛されたことを「幸せだった」と語る。これは詠子が実は御影父を愛していたことの証拠にはならないだろうか。

ウテナの御影草時の場合、時子は暁生を愛していたので御影草時の時子への思いは一方通行であった。しかしこの御影父の場合、野方詠子は毒殺するほど深く愛されたことを「とても怖いけれども忘れられない」こととして肯定的に語る。涙を浮かべたその表情は哀しげだが、微笑を伴うものである。詠子も御影父との日々を忘れられずにいたのだ。

なぜ彼女が去ったのか。数十年の間になんらかの心境の変化があったのかはわからないが、いずれにしても、御影父との思い出を愛おしく思っているのは間違いないだろう。とすれば、死の間際に御影父が見た幽霊は、この世を先に去った野方詠子が、御影父を解放するために迎えに来たシーンなのだ。御影父と野方詠子の長い日々はついに終わり、二人は時を超えて再会を果たしたのだ。

ベラドンナの毒と薬 

御影父と野方詠子の物語が、美しい幻影を描いて終わるのに対して、ウテナの黒薔薇編では、根室を時子が迎えに来ることはなかった。

『13月のベラドンナ』を読んだ後考えても、やはり黒薔薇編はその結末で良かったのだと思う。ウテナの世界観では、御影父のように、決闘に敗れた根室が毒を飲んで死ぬという展開はないだろうし、毒を飲むのではなく、学園から卒業する根室を時子が連れていくのであれば、根室は現実に回帰したことにならないように思うからだ。

卵の殻を破らねば雛鳥は生まれずに死んでいく。

幻想の中にとどまり続けた彼は、やはりその代償として独りで即時退去を命じられるべきなのだ。

 

とはいえ、浦島太郎のように、一瞬にして年を取って学園の外部に投げ出された根室は、自業自得とはいえやはり少し気の毒に思える。かつてリアルタイムで見ていたころは割り切って見れていたのに、今はとても堪えるのだ。視聴者である自分も年を取って、10代のデュエリスト達よりも暁生やアンシーに同情するようになったからなのだろう。

黒薔薇編の毒が強すぎると感じた場合、『13月のベラドンナ』を読むことは、根室について考える良い材料を提供するだろう。そこには俗世での罪と罰から開放されて、魂の結合を遂げた愛の物語がある。