101%メモ

幾原邦彦作品等について語るブログ

『花冠のマドンナ』レオノーラと天上ウテナ。二人の性格について。

少女革命ウテナは『原作さいとうちほ』と言ってもいいくらい、さいとう先生の作品にインスパイアを受けてる。」

先日のウテナAN第二弾(テアトル新宿)での、幾原監督のこの発言( http://yuuki101percent.hatenablog.com/entry/2013/01/21/022749 )を聞いてから、さいとう先生の漫画が読みたくなりました。

さいとう作品でウテナ関連といえば、榎戸さんがエッセイを寄稿している「花冠のマドンナ」、ディオスのモデルと言われる英国将校サジットが登場する「円舞曲は白いドレスで」「白木蘭円舞曲」等がよく話題になります。

「花冠のマドンナ」を久しぶりに読み返してみました。

花冠のマドンナ (1) (小学館文庫)

花冠のマドンナ (1) (小学館文庫)

 

■花冠のマドンナあらすじ

16世紀イタリア。レオノーラは剣術の達人ですが、貧乏貴族の娘であるため、結婚しなければ将来は修道院に入るしか道がありませんでした。「女になんか生まれたくなかった。」

そんな彼女に金持貴族から結婚の申込が。しかしこの縁談には裏があったのです。

実はレオノーラは「花冠のマドンナ」という伝説の乙女に瓜二つだったのです。マドンナにはイタリアの王になれる宝剣の秘密が隠されていると伝えられており、縁談はその宝剣狙いでした。

結婚の裏の目的を知った彼女は、利用されることを拒み、結婚式の後の初夜に花婿の元から逃亡します。

「イタリアの王になれるという伝説の宝剣、それを女の私が手に入れてはいけない?」

未来は自分で描き、人に頼るのをやめると決意した彼女。髪を切って男装をし、名前をレオと変えて旅にでました。

やがて、ナポリの王子ファルコと、チェーザレ・ボルジアが恋の相手として現れ、彼女はイタリアの歴史を動かす存在になっていきます。

 

花冠のマドンナ (1) (小学館文庫)

民衆を救う奇跡の乙女「花冠のマドンナ」。美しい銀の髪が特徴。レオノーラは必要に応じてカツラを被ってこの姿になる。

 

■レオノーラが旅する理由

彼女が男装をして旅をする理由は、自分を利用しようとする結婚に失望し、他人に頼らず生きてゆける力を手にするためです。

宝剣を手に入れるのは、社会的パワーを手に入れるためであり、その点は王妃を護衛して近衛連隊長までなったベルばらのオスカルと同じです。しかしオスカルが男性社会で戦うために女性性を放棄しているのに対し、レオノーラは女性としてのお得なメリットを捨てることはありません。

彼女は普通に恋愛をしますしその時は女性の姿に戻ります。しかし男として活動するときにはカツラを外し男装します。

女性としての喜びを捨てずに、社会的な成功も収める。お姫様性と王子様性の両方のメリットを享受しているのが、他の男装の麗人と異なる特徴です。

花冠のマドンナ (4) (小学館文庫)

男装時のレオノーラ(レオ)。黒く染めた短髪が特徴。

 

■レオノーラと初期天上ウテナ

レオノーラとウテナは似ていると言われます。

ウテナの初期デザインは凛々しい短髪でした。

しかし視聴者の少女の快楽を損なうとの理由から、長髪のデザインに変更になったそうです(薔薇の容貌P234,KKベストセラーズ,1998)。

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中央で剣を持ってるのが初期ウテナ

 

性格も二人は似ています。

男装して戦う主人公でありながら、女性であることをハンディキャップと捉えない所などです。

このウテナの性格はセーラームーンの影響があるようです。

季刊エスのインタビューにおいて、幾原監督は戦後の女性アニメ主人公の変遷に触れ、セーラームーンの革新性について語っています。

 

幾原「『セーラームーン』で衝撃的だったのは、『クリィミーマミ』が更に進化して、『女性であることが武器である』と、完全に自覚している点。作り手側がね。」

幾原「古いタイプのお話しの中で何が新しかったかというと、女性であることがハンディキャップになっていなくて、なおかつ登場人物自体がそれを武器だと認識していること。ここがそれまでのものと圧倒的に違っていた。」

さらに幾原さんらしいキャラといえば、「はるか」と「みちる」がもう…凛々しい感じでしたね。

幾原「その延長線上にあるんだよね、確かに『ウテナ』は。だから『ウテナ』の中でも、樹璃とウテナはそう言う対比になっている。樹璃は単純に言ってしまえば、オスカル的なポジションで、女性であることにハンディキャップを感じている。」

元々ウテナはアンシーと一緒だったんですよね?

幾原「そう。元々は一人のキャラクターだった。それは単純に、『リボンの騎士』のサファイア姫的なイメージだよね。お姫さまであり、王子さまになるという。良いところ取りすべきだという感じ。ただ、『女性であることをハンディキャップに感じない』という主人公を設定してしまった時に、自分の…あるいはスタッフの中に引っ掛かりがあったと思う。本当にそうなのか?って。」

「女性であるがゆえに、獲得できる無自覚な快楽やステイタスが限られてしまうことがあるでしょう。そのことにものすごく固執する『お姫様』的な女性がいる。

ウテナを『快楽的で女性的な部分を隠さないキャラクターという条件によせれば寄せるほど、そっち側の置いてきぼりにされた部分が固まりとして浮かび上がってくる気がした。」

「女性であることがこんなにラッキーだった!といって誕生したキャラクターの横に、女性であることはハンデだハンデだと言われ続けたこれまでのキャラクターの集大成みたいなものがいるというのは、時代の節目的にも面白いと思った。」

季刊エス29号「少女革命ウテナ 幾原邦彦」,飛鳥新社,2009)

 

セーラームーンの流れを組み、女性であることをハンデとしない天上ウテナと、その横にいる古いお姫様としての姫宮アンシー。

アンシーの誕生は、幾原監督が最初に主人公にこめようとした2つの個性を、どうしても一人のキャラクターにまとめることができず、2つに割ってしまった結果だといいます(薔薇の容貌P236,1998,KKベストセラーズ)。

 

レオノーラからお姫様の部分を独立させ、お姫様のハンデとなる面を描くために造られたのがアンシーだったのでしょう。

この結果、ウテナは華やかでありながら気高いキャラクターになったのだと思います。

ところで幾原監督は、ウテナの衣装は実は男装ではなくてコスプレなのだと言っています。 

幾原「あの衣装が何なのか?っていうのはずーっと悩んでいた。『男装』ということで始まっているじゃないですか。でも男装を突き詰めていくと、どうしても女性的であることを捨てざるを得ない。だって、男性に見えるように衣装を着ているんだから、女性である特性が目立たない方向へ行くんで。

樹璃みたいな方向へ行くのは簡単なんです。オスカルだからね。あっちへ行くのは簡単なんだけど、主人公がそうなったら、今更なんで70年代的なキャラクターが主人公なんだろう?って思う。しかも『ベルバラ』のパロディでしかない。どうすれば良いんだろうって考えて、最終的に行き着いた自分の結論は、『これは男装ではなくてコスプレだ!』と。つまり、女性であるということを捨てていない主人公が、女性であることを見せつけながら、なんちゃって男装をやっているというデザインになっている。 」

ウテナは「王子様に憧れるあまり、自分も王子様になる決意をしてしまった」お姫様でした(1話冒頭アバン)。この男装する意味というのは放送当時謎に思っていましたが、このインタビューの「なんちゃって男装で」という説明で腑に落ちた気がします。

思えばレオノーラが男装を始めたのも、銀髪のままでは目立ちすぎるので、変装するために始めたことでした。二人の男装に対するスタンスは近いものがあるように思います。

 

■さいとう作品とウテナ

その後のレオノーラは大きな権力を手にしながら、愛のために生きます。驚くべき展開になりますが、ウテナとは違う次元で世界を革命しているのかもしれません。

「花冠のマドンナ」は小学館「少女コミック」に連載され、1993年に単行本の一巻が発売になりました。1997年に製作されたウテナの元ネタと思わせるネタも度々でてきます。暴れ馬、チェーザレとルクレツィア、カンタレラの毒…等など。

ウテナの世界に多大なインスパイアを与えたという「さいとう作品」。

円舞曲シリーズがまだ未読なので、次は読んでみたいと思ってます。