「透明な嵐」とイタルの母親の「鉛色の雲」
ピングベアの次の情報が待ちきれない!
謎のページ(http://www.penguinbear.com/)が公開されてから、ワクワクの日々が続いています。
追加情報をもとめて、一日に何度もサイトを訪問してしまうありさま。
アニメなのか?他のメディアなのか?アニメならば劇場版なのか?
時期はいつなのか?ピングドラムとの関係は?
わからないことだらけですが、頭の中で期待と妄想が一杯。幸せです。
このワクワク感はピングドラム本編を見ていたとき以来ですね。
「透明な嵐」について考えてみる
「その透明な嵐に混じらず、見つけ出すんだ。」
「透明」といえばピングドラムに登場した「透明」にされた子供たちが記憶に新しいところです。両親に愛されなかった子供たちは、こどもブロイラーでシュレッダーに粉々に粉砕され、「痛くはない」が「誰にも見えなく」なっていまいます。
ピングベアにおいても、この設定は引き継がれるのでしょうか。
ここでは他の幾原監督の作品を元に考えてみましょう。
個人的に気になっているのが小説版「ノケモノと花嫁」に登場する、羽熊塚イタルの母親の物語です。
(以下小説版のネタバレ含みます)
小説版のイタルは、母の呪いにより滑稽な姿に変えられてしまった少年です。母は『雲』と呼ばれる世間の言葉に覆い尽くされ、自分を見失いイタルに呪いにかけます。少し長いのですが引用します。
ひとりの女がいました。
その女は美しいもの、醜いもの、を見分けることが出来ませんでした。
その女が暮らす街の空は、いつも鉛色の雲に覆われていました。雲の中は、地上から巻き上げられた大量の『砂』が舞っていました。
あるとき、雲は街まで降りてきて、その女の体をすっぽりと覆い隠すように取り囲みました。
ザザザ・・・ザザ・・・ザ・・・ザザザ・・・。
雲の中では砂がぶつかり合い、音を立てていました。その砂は、もともとは地上の人々が作り出した物で、音は『言葉(ノイズ)』でした。
雲の中は、たくさんの言葉で充満していましたが、奇妙なことに、それら全てに『私』がありませんでした。全て誰が行ったのか分からない言葉でした。
私のない正義の言葉。私のない中傷の言葉。正しいことも醜いことも、全て攻撃的な音をたててぶつかりあっていました。女は耳をふさぎました。でも、言葉は指の間から耳の中に入ってきました。
女はたえきれずに叫び声をあげました。『私を持たない言葉』に向かって、「私のない言葉』を投げ返しました。
・・・そして、その女は呪われてしまいました。雲は、もう空に戻ることはありませんでした。
それでも、その女は世間に自分が呪われてしまったことなどそぶりも見せず、普通に生活を続けました。その女の体の周りにまとわりついた雲は、他の人には見えなかったのです。だからその女は普通に学校に通い、普通に流行のカフェでコーヒーを飲み、普通に学校を卒業し、就職をしました。もちろんその間には普通に恋愛もしました。
数年後、その女はひとりの男の子を産みました。彼女の周りにはあの雲がグルグルとまとわりついたままでした。やがてその女は自分を取り囲む雲の中で『私をもたない言葉』に負けました。
どうしても雲のなかで自分の人生を肯定する言葉をみつけることが出来なかったのです。その女はゆっくりと壊れていきました。
「私が幸せになれないのは、この子がいるからなんだ。」
その女は、男の子を浴槽の中に沈めて、全てを無かったことにしました。
(引用元:小説版ノケモノと花嫁 第五夜「魔女の呪い」KERA vol.96 P84)
「鉛色の雲」は他人から見えません。しかし取り憑いた人間に中傷と正義の言葉をなげかけます。そしてその言葉を耳にした者も、同じように「私のない言葉」を投げ返してしまうと呪いにかけられてしまうのです。
ここで「私をもたない言葉」とは世間にあふれる主体のない価値観や言説のようなものだと理解しています。
たとえば世間には「幸せになるには○○がなければならない。○○がないと幸せにはなれない。」という価値観があふれています。これは努力をしてその○○を手にしょうというモチベーションを高め、好循環を生むのでしょう。しかしすべての人が求める結果を手に入れられるとは限りません。むしろ今日では夢や目標というのは手に入れられない人の方が多いことでしょう。こうした夢や目標に一旦挫折した場合、新たな幸せの条件を見つけられなければ、古い幸せの条件は毒となりその身を破壊します。
彼女はその価値観や考え方に感化されてしまったのでしょう。そして、自分が不幸である理由、愛されない・愛せない理由を言葉にしてゆき、自分で自分を呪縛に追い込んだのではと思います。
こうした彼女の外部に幸せの基準を求める考え方は、ピングドラムのこどもブロイラーに子を送る親達と同じものです。
イタルもまた透明にされてしまった子供たちです。
「その透明な嵐に混じらず、見つけ出すんだ」
話が脱線しました。
ピングベアにおける「透明な嵐」も、「鉛色の雲」のように油断するとその一部とされてしまうような危険な誘惑があるのかもしれません。なぜならば、今回のコピーはピングドラム16話の真砂子のセリフにニュアンスが近いと思うのからです。
ピングドラム16話のラストで、冠葉はKIGAと共にテロを起こそうとします。しかし真砂子は「私はその列車には乗らないわ」と言い冠葉と決裂します。
「混じらず見つけ出す」という響きには、この冠葉に同調せず、突破口を探そうとする真砂子や高倉兄妹のセリフに近い意志を感じます。
もしかすると、「透明な嵐」とはKIGAのテロのように、透明にされた子供たちによるなんらかの動きなのかもしれません。(ノケモノと花嫁では大人に虐待された子供たちは大人に反乱する子供革命軍を組織します。)
透明な嵐はよいとして、次に「何を見つけ出すのか」が気になります。
ピングドラムではピングドラムを手に入れることが目的でした。「ピングベア」なるモノを探し求めるのでしょうか。
WEBサイトのクマの足跡をみると、彼ら2匹のクマを追跡する話になりそうな気もします。