万有引力 『呪術音楽劇 邪宗門』 観劇してきました
呪術音楽劇 邪宗門
41年ぶりにシーザー演出で蘇った「邪宗門」を観劇してきました。
凄かったです。
猟奇的な極彩色の浮世絵世界。冥界の扉が開いたかのような空間。母殺しの幻想と、ラストのアジテーション。
「邪宗門」は、公演時の出来事や、「演劇の革命」というコンセプトについて多く語られます。しかし今回感じたのは、この劇は時代の垣根を超えて、現代でも観客の心の奥にある負の怨念を呼び起こし、暴力的に浄化してしまう恐ろしいエネルギーのある劇だということです。
歌あれども花なきくにに生れ落ち
母親殺しのシーンは悲しい情景のはずですが、「東京巡礼歌」が流れてスローモーションになると、世にも美しい光景となり、謎の感動に包まれました。思い出しても鳥肌が立ちます。
飢饉と身売りというどうにもならない境遇に生れ落ち、「はらいそう(天国)」へ行ってみたいと歌う女郎山蕗。父を探す娘と、自分の耳を探す芳一。遠い昔の日本を描いていながら、彼らは今の日本にも居る気がします。
黒子の導きにより舞台と一体化した観客は、虚構の中で地獄を巡り、黒子を倒し、俳優にアジられ日常へ帰ります。個人的には、自分の心の中の黒いドロドロが洗い流されて、すっかり浄化されたような気分になりました。残酷な地獄の物語で救われるというのもおかしいですが、おぎん、山太郎、山吹の気持ちがわかる気がしたのです。
絵金「双生隅田川・人買惣太自害」
背景に掲げられた、4枚の芝居絵。そのうちの一つが気になりました。江戸末期の浮世絵師「絵金」(1812-1876)の「双生隅田川・人買惣太自害」。「双生隅田川」は近松門左衛門作の人形浄瑠璃。惣太自害の場面は次のような話のようです。
遊女と恋に落ち、主君の1万両を盗んで逃げた惣太は、過去を悔いて主君にお金を返すため子供売買の商人となる。しかしあと10両で1万両が揃うというところで、主君の若君・梅若を死なせてしまう。真実を知り泣き伏した惣太は、天狗となって主君のもう一人の若君・松若を探し出すと言い、切腹して息絶える。
子守狂女と班女御前
「邪宗門」に登場する子守狂女は、上記の梅若・松若の母である班女御前のイメージと重なります。狂乱して我が子を尋ね歩いた班女は、隅田川で梅若の墓を見つけ嘆き悲しみます。そしてわが子の霊魂と出会います。
「邪宗門」は親と子の愛憎がテーマにあると思うのですが、彷徨いあるく班女と子守狂女は、子を思うあまり狂ってしまった悲しい母親のように思います。
今回、子守狂女を演じたのは、とりふね舞踏舎の三上賀代さん。一種超常的な存在感がありました。まるでその周囲だけが時が止まったかのような、身も凍る静謐。ぜひまた観てみたいです。
とりふね舞踏舎は、10月に京都と徳島で公演があり、シーザーもドラムでゲスト出演するそうです。